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東京高等裁判所 昭和27年(う)2207号 判決 1952年12月02日

控訴人 被告人 山本実

弁護人 山本俊三

検察官 中条義英関与

主文

原判決を破棄する。

被告人は無罪。

理由

弁護人山木俊三の控訴趣意は本判決末尾添附の控訴趣意書に記載のとおりであるから、これについて判断する。

所論に基き記録を査閲し就中後記証拠を綜合考按するに、被告人が原判示日時に肩書自宅において行木誠之助と飲酒中同所に白鳥倉吉が来て間もなく同人が原判示の如き左胸部、肩胛骨部および左拇指等の負傷をなしたのであるが、その負傷の原因を討究すると、当時被告人は自宅六畳の間において行木等と飲酒中、その邸内西南部入口から白鳥が「この網屋の野郎」等と大声を発しながら入り来り、その背後には数名の近隣人が随いて来たが、白鳥は被告人方の右六畳間の南側庇内の土間から土足のまま六畳間に上り、その場に在つた被告人方の木製煙草盆を手に取り被告人目がけて投げつけたので、行木等が白鳥を制止しようとしたが、きき入れず、直ぐ被告人に組みついて行つて被告人を屋外に引きずり出しにかかつたので、両名は組合つたまま被告人が下になつて前記土間に落ち、白鳥は更に被告人の咽喉部を手で押しつけたため、被告人は気絶し顔色が変り口もとに泡を出すような状態を呈し、そこに被告人の妻山本初枝の制止歎願があつたので漸く押しつけている手をゆるめ、暫らくして被告人は生気を取り戻したが、白鳥の前記負傷は、右の如く同人が被告人に組みついてから被告人を気絶させるまでの間に被告人が白鳥の右暴行を防止するため手で白鳥の横腹や肩の辺りを突いたり左指を捻つたりした結果生じたものと推認することができる。然し、斯ように、突然他人の邸宅に暴言を吐きながら入り来り、土足のまま座敷に上り込んで器物を投げつけ更に身体に組みついて土間に押し倒した上咽喉部を押して気絶せしめるが如きは、まさに刑法にいわゆる急迫不正の侵害であり、従つて、その暴行を防止するため若干抗争的態度に出た結果その暴行者に或る程度の傷害を負わしめるに至つたとしても、それは右侵害に対し自己の身体生命を防衛するため已むなく行つたもので、即ち本件被告人の右傷害は白鳥の暴行に対する正当防衛行為の結果と解するを相当とする。故に、これを以つて単純なる傷害行為と認定した原判決は事実を誤認したものであり、破棄を免れない。論旨は理由がある。

そこで、刑訴法第三九七条第三八二条第四〇〇条但書により原判決を破棄した上刑法第三六条第一項刑事訴訟法第三三六条前段により被告人に対し無罪の言渡をなすことにして、主文のとおり判決する。

証拠

一、医師飯野繁則作成の診断書

一、原審第二回公判調書中証人飯野繁則の供述記載

一、同調書中証人行木誠之助の供述記載

一、同審および当審の証人行木誠之助および同山本初枝に対する各尋問調書

一、原審および当審の各検証調書

(裁判長判事 久礼田益喜 判事 武田軍治 判事 吉田豊)

控訴趣意

一、本件は被害者白鳥倉吉が突然被告人居宅に侵入し同家上り口にあつた煙草盆を被告人目掛けて投付け土足で座敷に突入し当時飲酒中の被告人に組付き咽喉部を締め格闘の末同家縁下に転落したのであります。其際被告人は白鳥に組敷かれ下になり白鳥は被告人に跨り咽喉を締め付けたため被告人の妻其の他の者が仲裁して漸く白鳥の手を放ち事なきを得たのでありますが当時被告人は一時気を失つて居つた次第であり若し此儘放置したならば被告人は死に至るやも知れざりし状態であります。

二、被告人が飲酒して居たのは当時旧盆の勘定を済ませて其の祝酒をのんで居たので其席には行木誠之助と糸賀仙太郎が列座して居つたのであります。又同所より四五尺の所には被告人父及び妻初枝及び長男十五六才も居り妻はすぐ縁下に墜落した処に馳付け白鳥の手を放して貰つたのであります。而して右は殆んど一しゆん突差の出来事でありました。

三、従つて被告人は白鳥倉吉の襲撃に対し之を防禦しただけでありまして進んで喧嘩をしたのでありません。又行木誠之助が白鳥倉吉を引ずり上げたのでもないのであります。

四、処が原審判決は其理由に於て

被告人は昭和二十六年八月十六日午後四時頃肩書自宅において行木誠之助と酒を飲んでいた際白鳥倉吉が被告人の陰口に憤慨して被告人方を訪れ庭先において詰問し却つて行木誠之助に引きずり上げられるや右倉吉に対し同人の左胸部並びに肩胛骨辺を手拳で二三回突き或は左拇指等を捻上げる等の暴行を加え因つて同人の左胸部肩胛骨部等に打撲傷左拇指第一関節部に全治三週間を要する捻挫傷を負わしめたものである」と断じ証拠として、一、飯野繁則の診断書 一、証人飯野繁則同白鳥倉吉同糸賀仙太郎の当公廷における各供述 一、証人糸賀仙太郎に対する当裁判所の訊問調書を引用されました。

五、而して右証拠中白鳥倉吉糸賀仙太郎の供述は両名が結託して偽証をしたものであり当公廷に於て他の証人である行木誠之助山本初枝及び被告人本人の供述が正しいのであります。原裁判所は之等被告人に有利な供述は更に採用してくれないのであります。事実の認定証拠の採否は裁判官の自由裁量に属するものでありますが斯の如く被告人の利益を無視された事実の認定には服し得ないのであります。特に注目すべきは行木誠之助山本初枝両名は白鳥が被告人方に来た際には糸賀仙太郎は行木及び被告と三名で飲酒して居たと供述し糸賀は其際は自分は座を外して居たので其状況は知らないと云ふのであります。而して同人が中座したのは隣家の伜夫婦の鶏に水をやるためだつたと供述して居りますが旧盆の勘定酒の最中せがれ方の鶏に水をやりに行く事が不審であります。

六、元来本件の発端は網主同志の勢力争から端を発します被告人は通称網やと云う地曳の網主であり訴外岩井倉之助は一軒離れた処に居住し同人も亦同業の網主であります。同日は岩井方でも旧盆で勘定酒を一同で飲んで居りました其際の出来事であります。

七、白鳥倉吉は岸井方の沖合であります。沖合と云うのは漁師の頭であります。船長の様な格のものであります。同人は飲酒の上被告人を威嚇する為に輩下十数名を引つれて被告人方へ喧嘩を売りに来たのであります。而して被告人の庭先に立つて「網や野郎居るか」と怒鳴り直ちに侵入して上り口にあつた木製の煙草盆を被告人に投付け更に座敷に侵入して被告人に組付いたのであります。之れは隣合つた地曳網主の勢力争であります。

八、白鳥は被告人が同人の陰口を云つたので憤慨して同人を詰問する為に同家に来たと弁解して居りますが之れ等は事実無根であつて後日糸賀等と協議して作つた口実に過ぎないのであります。斯様な事位で本件の如き事態を起すことは想像も得ないのであります。

九、白鳥は十数名の部下をつれて被告人方へ来たのであります。そして白鳥は被告人に組付き他の者共も侵入して来る様子だつたので糸賀と行木は此者共を取りしずめるために表へ飛び出したのであります。

白鳥が負傷したのは被告人が、加えた負傷では無く自ら招いた負傷であります。

白鳥は事件のあつた翌日から漁に従事して居つた程であつて左程の負傷では無いのであります。此の事実は証人飯野医師の証言にもある通り被告人は二三日後に医師に診療を受けたのであり此点から推察するも大した負傷では無いのであります。

十、以上の事実でありまして原判決は事実の認定を誤つたものでありますから更に事実御審理の上被告人に対し無罪の御判決あらんことを望みます。

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